blueskycrawler’s blog

日記と読書の記録

「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」二宮敦人

すごい。ふつーのサラリーマンというカテゴリでは出会えない天才たちのお話・・・


キャンパス内にもホームレスさんの家があるよ。取手キャンパス(茨城県取手市)には普通にあった

ピアニストにとって指は商売道具だもの。傷つけて演奏ができなくなったら大変、練習できないだけでも困る。一日練習しないと、三日分ヘタになるって言うくらいだからね。重いものも持たないし、スポーツもしない。それは、プロならばより意識してるはずよ。私も高校の頃は、体育は見学してた

音校の、特にピアノやヴァイオリンに入る人はね、三歳くらいで人生の進路を決めてしまうことになるのよ

あくまで自然に、楽しんで最前線を走っていく。天才とは、そういうものなのかもしれない。

将来にも正直、不安はありますけど、でも、自分で切り開いていきたいって思ってます。幸せなことを数えて生きていきたいなって

百人いたら百人がこちらを好きになってくれることはない。だが、百人がこちらを嫌うこともない

コンクールは何回やっても緊張します。緊張で八割の力しか出せないなら、実力を二割増しにできるよう練習しなければいけません。本番で実力以上の力が出ることはないですから

体が作られる時期に練習をすることで、楽器に適した体に成長するの。その時期を逃して後から始めると、もうそれだけで差がついちゃう……

やりたいからやるのではなく、まるで体に刻みこまれているように、例えば呼吸することを避けては通れないように、人はモノを作るのかもしれない。

先生の演奏を聴いていると、本当に、涙が出てくるほど感動するんですよ。打楽器だけの演奏で、ですよ?どこまで音を突き詰めるか、どこで妥協してしまうのか……自分との戦いで、人生に通じるところがあります

彼らの日常は全て、本番に向けた練習なのかもしれない。トライアングルを鳴らす時、履いていく靴を選ぶ時、彼らは人知れず精神を研ぎ澄ませている。そんな人を、音楽家というようだ。

アートは一つのツール、なんじゃないですかね。人が人であるための

私たちは音楽の末端でしかない。けれど、その末端は本当に美しくなければならない

音楽って、生きていくうえでなくてもよいものなんです。でも、長い年月をかけて発展してきました。やっぱり……なくてはならないものなんだって思います

「進学」と「不明」が、八割を占める。それが藝大生の進路なのだ。「何年かに一人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」

ある意味、就職してる時点で落伍者、といった見方もあるのよ。就職するしかなかった、ということだからね。あいつは芸術を諦めた、みたいな……

「学長、よろしくお願いいたします」
「お前ら、最高じゃあああああああァ!」
「毎年見とるけど、今年はとぉーくによかった!最高!素晴らしい!ええか、これからの日本には、お前らの力が必要なんじゃああああァ!ニッポンの文化芸術を背負うのは、お前らじゃああああァ!以上ッ!」

こういう世界もあったんだな。人の生き方の幅広さ。不思議な感じがする。

最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常